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部活の顧問は見てるだけ?来ない・何もしない制度的背景を解説

部活の顧問は見てるだけ?来ない・何もしない制度的背景を解説 部活

「部活の顧問は見てるだけ」「いつも座っているだけで何もしない」……。生徒や保護者の立場からすれば、そう不満を感じてしまうのも無理はありません。しかし、その背景には、顧問本人の怠慢という言葉だけでは片付けられない、学校現場特有の根深い「制度的な歪み」が存在しています。

顧問が現場に来られない、指導に熱が入っていないように見える、あるいは理不尽な対応をしてしまう。これらの現象の多くは、教員の多忙化、安全管理への過度なプレッシャー、そして未経験でも顧問を引き受けざるを得ない配置構造によって生み出されています。

ここでは、なぜ顧問が「見てるだけ」になってしまうのか、その構造的な理由を深掘りし、誤解されがちな顧問の苦悩と実態について、現場の視点から詳しく解説していきます。

  • 部活の顧問は見てるだけに見える本当の理由と、現場の裏事情
  • 来ない・何もしない顧問が生まれてしまう、学校特有の制度的背景
  • ダメな顧問の特徴や、ひいき・おかしいと感じられる対応の正体
  • 未経験の割合の高さや、理不尽で辞めたいと感じる顧問の本音

部活の顧問は見てるだけに見える理由

部活の顧問は見てるだけに見える理由

ここからは、なぜ「部活の顧問は見てるだけ」「顧問が来ない」「何もしない」と感じられてしまうのか、その背景にある構造的な理由を順に整理していきます。

個々の顧問の姿勢や性格に原因を求めるのではなく、未経験の割合が高い配置の実態や、やる気がないと誤解されやすい制度の問題、本当はやりたくない顧問が増えている事情までを丁寧に見ていくことで、表面だけでは見えない現実が浮かび上がってきます。

顧問が現場に来ないと誤解される背景

「部活の顧問が見てるだけ」「顧問が来ない」という不満が出る背景には、顧問の個人的なサボりではなく、現在の学校制度そのものが抱える構造的な欠陥があります。結論から言えば、多くの顧問は“部活に行きたくても、物理的に行けない”という状況に追い込まれています。

まず、最大の理由として挙げられるのが、教員の異常なまでの業務量です。部活動は、文部科学省の規定上は「教育課程外」の活動とされていますが、現場では授業・学級経営・校務分掌・生徒指導・保護者対応といった本来業務に上乗せされる形で存在しています。特に近年は、いじめ対応や不登校対応、ICT教育の推進など新たな業務が激増しており、教員が放課後にフリーになる時間はほぼ皆無と言っても過言ではありません。

実際に、国が行った調査でも、教員の長時間労働の実態が明らかになっています。中学校教員の平日1日あたりの在校等時間は11時間を超えており、過労死ラインを超える働き方が常態化しているのが現実です。

(出典:文部科学省『令和4年度教員勤務実態調査(集計結果)』

また、顧問が常に練習場所にいない理由として「複数業務の同時進行(マルチタスク)」があります。放課後は、職員会議、校内巡視、他学年の生徒指導、管理職からの急な呼び出し、保護者からの電話対応などが集中する時間帯です。生徒が「先生、まだ来ないね」と話しているその時、顧問は職員室で保護者の電話対応に追われていたり、トラブル対応で走り回っていたりすることがほとんどなのです。

さらに、「専門外の顧問」である場合、練習に付きっ切りになること自体を避ける傾向もあります。これはサボりではなく、自分が現場にいることで「専門的な指導を求められるプレッシャー」から距離を置きたいという心理も働いています。結果として、必要最低限の顔出しに留まり、生徒からは「来ない顧問」というレッテルを貼られてしまうのです。

このように、顧問が現場に来ないと誤解される背景には、教員個人の熱意の問題以前に、「一人の人間が抱えられる業務のキャパシティを超えている」という物理的な限界があります。見えている行動(=来ない)だけで顧問を評価してしまうと、実態との大きなズレが生まれてしまうのです。

なお、「顧問が来ない/見てるだけ」に加えて、部活そのものがつらくなり「行きたくない」と感じている場合は、気持ちの整理や選択肢(休部を含む)を考えるヒントとして、部活へ行きたくないと感じる原因と対処法(休部も含む)も参考になります。

何もしないように見える安全管理中心の役割

部活動において「顧問が何もしない」「ただパイプ椅子に座って見ているだけ」に見える場面は少なくありません。しかし、その「見ているだけの状態」こそが、現在の学校部活動において顧問に最も強く、そして厳格に求められている役割なのです。

理由として最も大きいのが、顧問が負う法的・管理的責任の重さです。部活動中に起こる熱中症、怪我、生徒間のトラブルの最終責任は、競技経験の有無に関わらず全て顧問にのしかかります。そのため、顧問の頭の中は「どうすれば生徒がもっと上手くなるか」という技術指導よりも、「どうすれば事故を起こさずに今日を終えられるか」という安全管理で埋め尽くされています。

特に近年は、体罰・暴言・ハラスメントへの社会的監視が非常に強まっています。かつてのような「熱血指導」は、一歩間違えれば「不適切な指導」として糾弾されるリスクを孕んでいます。若手教員ほど、「下手に口を出して炎上するくらいなら、静かに見守っている方が安全だ」という防衛本能が働きやすく、その結果、物理的に距離を取った関わり方になります。

生徒・保護者から見える姿 顧問の脳内・実際の業務
ただ立って見ているだけ 熱中症の兆候がないか、危険な接触プレーがないか全体の安全を監視中
スマホをいじっている 他校との練習試合調整、バスの手配、保護者への連絡メール作成などの業務中
何も教えてくれない 専門外で教え方が分からないため、変な癖がつかないよう口出しを控えている

また、大会運営や校外対応を同時に担っている点も見落とされがちです。練習中に顧問が手元の資料やスマホを見ている場合、それはゲームをしているわけではなく、週末の試合の会場手配、審判の割り振り、登録手続きなどを隙間時間で処理していることが大半です。

具体的には、事故防止のためにあえて「自主練習」という形式を取り、顧問は全体を俯瞰(ふかん)する「監視役」に徹するケースもあります。これは技術指導の放棄ではなく、生徒の安全を守るための配置です。しかし、声を出さず、細かな指示も飛ばさないため、側から見れば「存在感がない」「やる気がない」と映ってしまいます。

結果として、顧問は「指導しすぎるとリスク」「指導しないと無責任」という板挟みの中で、安全管理に特化した“見ている役”という立ち位置に落ち着かざるを得ないのです。何もしないように見えるその姿は、制度と責任の重さが生んだ、極めて現実的な「防衛策」だと言えるでしょう。

未経験の割合が高い顧問配置の実態

未経験の割合が高い顧問配置の実態

部活動で「顧問が頼りない」「技術的なことを何も教えてくれない」と感じられる大きな理由の一つは、顧問の未経験者率が非常に高いという構造的な問題にあります。日本の学校部活動は、教育的な専門性よりも、学校運営上の人員都合を最優先して顧問が配置される仕組みになっているのです。

その理由は明確で、部活動の顧問配置は「その競技が得意な人がやる」のではなく、「空いている枠に人を埋める」パズル作業だからです。実際の現場では、教科や過去の競技経験に関係なく、「若手だから」「男性だから」「まだ担当を持っていないから」という理由だけで、全く未経験の運動部顧問を任されることが常態化しています。

例えば、以下のようなケースは学校現場では日常茶飯事です。

  • サッカーのルールすら知らない教員が、サッカー部の主顧問になる
  • 文化部出身で運動が苦手な教員が、激しい運動部の顧問を命じられる
  • 柔道や剣道など、専門資格や経験がないと危険な競技でも、未経験者が配置される

このような状況に置かれた顧問は、「間違ったことを教えて生徒の成長を阻害したらどうしよう」「素人が口を出して、生徒に怪我をさせたら責任を問われる」という強い不安を抱えます。その結果、技術的な指導には一切口を出さず、事務連絡と安全確認だけに徹するというスタイルをとらざるを得なくなります。

この慎重さは本来、生徒を守るための誠実な行動とも言えます。しかし、指導を期待する生徒や保護者から見れば、「何も教えてくれない」「やる気がない」という不満に直結してしまいます。未経験の顧問ほど、自信のなさから声かけや介入を最小限にする傾向があり、それが「見てるだけ」という印象を決定づけてしまうのです。

つまり、未経験の割合が高い顧問配置の実態は、顧問個人の勉強不足や能力の問題ではなく、専門性を度外視して全員顧問制を維持しようとする制度そのものが生み出している現象だと言えます。

やる気がないと受け取られやすい制度構造

部活顧問が「やる気がない」と受け取られやすいのは、本人の教育的情熱が低いからではなく、今の学校制度が「熱意を表に出せば出すほど損をする」仕組みになっているからです。現在の部活動は、教員の個人的な犠牲とボランティア精神のみによって辛うじて支えられています。

まず大きな要因として、「給特法」に基づく給与体系があります。公立学校の教員には残業代が出ず、代わりに月給の4%が上乗せされるのみです。つまり、平日夜遅くまで部活指導をしても、定時で帰っても給料は同じ。さらに土日の練習試合引率に至っては、数千円程度(時給換算すると数百円レベル)の手当しか出ません。この「やればやるほど時給が下がる」構造の中で、無限の情熱を注ぎ続けられる人は稀です。

加えて、熱心に指導すればするほど、周囲からの期待値と要求レベルだけが上がっていくというジレンマもあります。「もっと練習試合を組んでほしい」「朝練もやってほしい」という保護者の要望に応えようとすれば、顧問のプライベートは完全に消滅します。一度レベルを上げると下げることは許されず、疲弊した顧問は「最初から頑張りすぎない方が、自分も家族も守れる」という結論に至ります。

具体的には、以前なら当たり前だった朝練の廃止、休日練習の短縮、対外試合の制限などを行う顧問が増えています。これは顧問なりの「働き方改革」であり、持続可能なラインを探った結果です。しかし、勝利を目指す生徒や熱心な保護者から見れば、それは「熱意がない」「勝つ気がない」「サボっている」というマイナス評価に直結してしまいます。

顧問の「家庭も大切にしたい」「倒れない程度に働きたい」という当たり前の願いは見えにくく、練習時間の短さという結果だけが切り取られて評価される。このように、やる気がないと受け取られやすい背景には、顧問の意識低下ではなく、「頑張らないことが唯一の自衛手段」となってしまっている過酷な制度構造があるのです。

本当はやりたくない顧問が増える事情

部活動において「見てるだけ」の顧問が増えている背景には、さらに根本的な問題として、「そもそも本当は顧問をやりたくない」と考えている教員が激増しているという現実があります。

かつては「部活をやりたくて教員になった」という人も多かったですが、現在は「部活さえなければ教員を続けたい」と考える人が若手を中心に増えています。

その最大の理由は、ワークライフバランスに対する意識の変化と、部活動負担の肥大化です。

今の若手教員は「プライベートの時間も大切にしたい」という健全な価値観を持っていますが、部活動顧問になると土日祝日がつぶれ、友人の結婚式にも行けず、自分の子供の行事にも参加できないという生活を強いられます。

さらに、教員の業務において部活動はあくまで「課外活動」であり、人事評価のメインではありません。どれだけ部活で実績を残しても、授業が疎かになれば評価されず、逆に部活でトラブルが起きれば厳しく責任を追及されます。

「ハイリスク・ローリターン」な業務であることが広く認知され始めた結果、顧問を忌避する空気が現場に蔓延しています。

しかし、学校現場には「若手は運動部を持って当たり前」「独身なら土日も出られるでしょ」という、断りづらい同調圧力が依然として強く残っています。その結果、心の中では「絶対にやりたくない」「断りたい」と思いつつも、渋々引き受けざるを得ない教員が生まれます。

こうして嫌々顧問になった教員は、心身の健康を守るために「最低限の関わり」に留めようとします。積極的に指導して深入りすることを避け、事務的な対応に終始するのは、これ以上自分の人生を部活動に浸食されないための防衛本能です。

結果として、本当はやりたくない顧問が増え、その人たちが無理なく教員生活を続けるために「見てるだけ」に近い関わり方を選ぶようになります。

この現象は個人のワガママではなく、教員の善意に依存しきった部活動システムが限界を迎えている証拠だと言えるでしょう。

部活の顧問は見てるだけといのは誤解?

部活の顧問は見てるだけといのは誤解?

ここからは、「部活の顧問が見てるだけ」という印象が、どのように誤解や不満へと変わっていくのかを掘り下げていきます。

ダメな顧問の特徴とされがちな行動や、ひいき・対応がおかしいと感じられる瞬間の裏側には、若手顧問の強い指導不安や理不尽で辞めたいと感じる心理があります。

そして、「来ない顧問像」がどのようにして高圧的な指導を生みやすくしてしまうのか、その負の連鎖を整理しながら、問題の本質を見ていきます。

ダメな顧問の特徴と若手の指導不安

部活動において、生徒から「ダメな顧問」とレッテルを貼られてしまうケースがあります。

しかし、その多くは顧問の人格的な欠陥というよりも、経験の浅い若手教員が、孤立無援の中で指導せざるを得ない構造から生まれている悲劇的な側面があります。

若手教員が「ダメな顧問」になりやすい理由は、圧倒的な「自信のなさ」と「焦り」です。授業経験も人生経験も浅い段階で、数十人の生徒を統率し、結果を出し、保護者を納得させるという高度なマネジメントを求められます。

「優しく言っても生徒が動かない」「注意しても改善されない」という壁にぶつかった時、若手顧問はパニックに近い状態に陥ります。

その結果、手っ取り早く生徒を従わせるために、安易な「強権的指導」に走ってしまうことがあります。

自分の指導力に自信がないからこそ、大声で怒鳴る、威圧的な態度を取る、些細なことで激昂するといった行動で、自分を大きく見せようとするのです。これは、指導の引き出しがない若手が陥りやすい典型的な悪循環です。

具体的には、以下のような行動が「ダメな顧問の特徴」として表面化します。

  • 生徒のミスを嘲笑したり、人格否定に近い暴言を吐く
  • 機嫌によって言うことが変わり、生徒が顔色を伺うようになる
  • 失敗した生徒を長時間立たせるなど、見せしめ的な指導をする

これらは生徒から見れば完全なハラスメントであり、許されることではありません。

しかし、顧問の内面では「厳しくしないと学級崩壊のように部活が崩壊してしまう」という恐怖と戦っています。適切なメンターもおらず、正しい指導法を学ぶ機会もないまま現場に放り込まれた結果、不安が攻撃性へと転化してしまっているのです。

なお、「どこからが指導で、どこからが理不尽(ハラスメント)なのか」の判断基準や、具体的な対処の進め方を整理したい場合は、部活のダメな顧問の特徴とは?理不尽な指導への対処方法もあわせて確認しておくと安心です。

「ダメな顧問」と呼ばれる行動の裏には、個人の資質以前に、若手を育てる余裕を失った学校現場の過酷な環境が横たわっています。

ひいきと誤解される指導距離の問題

部活動では「先生はあの子ばかりひいきしている」「特定の生徒しか見ていない」といった不満が頻繁に生まれます。

しかし、その多くは顧問が意図的に優遇しているわけではなく、限られた時間とマンパワーの中で活動を回そうとした結果、必然的に生じてしまう「指導距離の偏り」であることがほとんどです。

最大の要因は、顧問の圧倒的な「時間不足」です。授業や校務に追われ、部活に顔を出せる時間はわずかしかありません。その短い時間の中で、効率的にチームを強化したり、運営をスムーズに進めたりしようとすると、どうしても「話が早い生徒」「反応が良い生徒」とのコミュニケーションが増えてしまいます。

特に未経験の顧問や多忙な顧問ほど、以下のような生徒に頼らざるを得なくなります。

  • 競技経験があり、顧問の代わりに練習メニューを組める生徒
  • リーダーシップがあり、全体への指示出しを任せられる部長クラスの生徒
  • 積極的に質問に来てくれる、意欲の高い生徒

顧問からすれば、彼らは「頼れるパートナー」であり、運営上の必要性から密に連絡を取っているに過ぎません。

しかし、それ以外の生徒、特に自分から声をかけられない消極的な生徒から見れば、楽しそうに話している姿は「ひいき」以外の何物でもありません。「自分たちは放置されている」「見放された」という疎外感が募っていきます。

また、上手な生徒には厳しく指導し、初心者には優しく接するという「使い分け」も、誤解を生む原因になります。顧問としては個々のレベルに合わせた指導のつもりでも、生徒側には「人によって態度が違う」と映り、不信感の種になります。

このように、ひいきと誤解される現象の正体は、「全員に平等に関わりたくても、物理的にそれが不可能な現場の限界」です。顧問一人が数十人の部員全員のメンタルケアまで完璧に行うことは、今の学校のシステムではほぼ不可能なミッションなのです。

顧問の対応がおかしいと感じられる瞬間

顧問の対応がおかしいと感じられる瞬間

部活動で「顧問の言っていることがおかしい」「対応が理不尽だ」と感じられる場面。これは、顧問が意地悪をしているわけではなく、脳内の処理能力がパンクし、正常な判断ができなくなっているサインである可能性が高いです。

顧問は常に「マルチタスクの極み」のような状態で部活指導をしています。

グラウンドで生徒を見ながら、頭の中では明日の授業の段取りを考え、さっき起きた生徒トラブルの対応策を練り、さらに保護者からのクレーム電話への返答をシミュレーションしています。この極限の緊張状態が続くと、人間はどうしても「認知の歪み」や「判断ミス」を起こします。

具体的には、以下のような「おかしい対応」が発生します。

朝令暮改(言うことが変わる) 昨日は「攻めろ」と言ったのに今日は「守れ」と怒る。→その時々の他の業務のストレスや、管理職からの指摘などで、顧問の判断基準がブレブレになっている状態です。
突然の激昂(キレる) 些細なミスで爆発する。→部活以外のストレス(授業の失敗や保護者対応など)が限界まで蓄積しており、生徒のミスがトリガーとなって感情が制御できなくなっています。
説明不足(理由を言わない) 「いいからやれ」としか言わない。→論理的に説明する精神的エネルギーが残っておらず、思考停止状態で命令を下すことでしか状況を動かせなくなっています。

また、保護者や外部の目を過剰に気にするあまり、生徒への説明を省略して「事なかれ主義」に走るケースもあります。

急な練習中止や方針転換があっても、その理由を生徒に詳しく説明する時間も気力もないため、結果として「わけのわからない指示」だけが降りてくることになります。

「顧問の対応がおかしい」と感じた時、その背後には、余裕を完全に失い、冷静な判断力を奪われた一人の疲弊した教員の姿があります。

それは無責任さの表れというよりは、過剰負荷によるシステムエラーのような状態なのです。

理不尽で辞めたいと感じる若手教員の心理

生徒が「部活を辞めたい」と思うのと同様に、いやそれ以上に、若手教員自身が「部活が理不尽すぎて辞めたい」と悲鳴を上げています。

若手顧問は、努力が報われない徒労感と、逃げ場のないプレッシャーの板挟みになり、精神的に追い詰められています。

若手教員が理不尽さを感じる最大の要因は、「責任と権限、そして報酬のアンバランス」です。

経験が浅く、右も左も分からない状態にもかかわらず、ベテラン教員と同じだけの「事故防止責任」や「生徒指導責任」を負わされます。

上手くいって当たり前、失敗すれば「指導力不足」と烙印を押され、休日を返上して働いても、それが給与や人事評価にプラスに働くことはほとんどありません。

具体的には、以下のような心理的葛藤を抱えています。

  • 「授業準備をしっかりやって良い授業をしたいのに、部活のせいで準備時間がゼロになる」という本末転倒な悩み
  • 「保護者からの要求はプロ並みを求められるが、自分は素人である」というギャップへの苦しみ
  • 「先輩の先生たちはみんなやってきたから」という言葉で、辛さを封殺される孤独感

特に深刻なのが、「辞めたいと言い出せない空気」です。

部活顧問を拒否することは、学校組織の中では「協調性がない」「ワガママだ」とみなされかねず、若手にとってはキャリアを傷つけるリスクになります。そのため、誰にも相談できず、ボロボロになるまで耐え続けるしかありません。

若手顧問が抱く「辞めたい」という感情は、甘えではなく、自分の教育者としての人生を守るためのSOSです。

その声が誰にも届かないまま、今日もグラウンドに立たざるを得ないのが、多くの若手教員の偽らざる本音なのです。

もし生徒・保護者の立場で「もう限界かもしれない」「退部を考えている」と感じている場合は、話の切り出し方や退部届の準備まで具体的に整理できる、部活を辞めるときの顧問への伝え方(退部届の書き方とマナー)も実務的に役立ちます。

来ない顧問像が高圧化を助長する流れ

「来ない顧問」「見てるだけの顧問」という実態は、皮肉なことに、一部の顧問をさらに高圧的で強権的な指導へと走らせる原因になります。「不在であること」への負い目や不安が、歪んだ形での指導につながってしまうのです。

理由は単純で、「たまにしか行けないからこそ、行った時に存在感を示さなければならない」という焦りが生まれるからです。

普段練習を見られていない顧問は、生徒との信頼関係(ラポール)を築く時間が圧倒的に足りません。関係性が希薄な状態で生徒を統率しようとすると、どうしても「対話」ではなく「恐怖」や「権力」に頼らざるを得なくなります。

例えば、久しぶりに部活に顔を出した際、生徒がだらけているのを見て、「俺がいない間に何をやっていたんだ!」と必要以上に激しく叱責するケースがあります。これは、日頃の管理不足を棚に上げ、大声を出すことで「顧問としての威厳」を一瞬で取り戻そうとする無意識のパフォーマンスです。

顧問本人にとっては「引き締め」のつもりでも、生徒からすれば「普段来ないくせに、来た時だけ怒鳴る理不尽な存在」でしかありません。

さらに、周囲のベテラン顧問の影響も無視できません。

古い体質の部活文化が残る学校では、「舐められたら終わり」という価値観が根強く、若手顧問もそれに染まっていきます。「見てるだけの頼りない顧問」と思われたくない一心で、あえて厳しい言葉を使ったり、高圧的な態度を取ったりするようになります。

このように、「来ない顧問像」は放置されると、「不在→不安→威嚇による統制→信頼の崩壊→さらに行きづらくなる」という最悪の悪循環を生み出します。

高圧的な指導は、顧問の性格の問題であると同時に、不在がちな顧問が手っ取り早く場を支配しようとした結果の「副作用」でもあるのです。

まとめ

この記事のポイントをまとめます。

  • 部活の顧問が見てるだけに見えるのは、個人の怠慢ではなく、学校制度の構造的な限界が大きい
  • 顧問が来ない背景には、授業・校務・保護者対応など、教員一人のキャパシティを超えた過剰な業務負担がある
  • 何もしないように見える行動は、事故責任や訴訟リスクを避けるため、安全管理を最優先した結果の「防衛策」である
  • 顧問は、指導のプロではないにも関わらず、事故やトラブルの最終責任を一身に背負わされている
  • 未経験者の割合が高い顧問配置が、自信のなさを生み、指導の消極化(見てるだけ化)を加速させている
  • やる気がないと受け取られやすいのは、いくら働いても報われない評価制度と給与体系の不均衡が原因
  • ひいきに見える指導距離の偏りは、全員をケアする時間とマンパワーが物理的に不足していることから生じる
  • ダメな顧問の特徴とされる高圧的な行動は、若手教員の指導不安や余裕のなさが歪んだ形で表出したものである
  • 理不尽で辞めたいと感じている顧問は決して少数ではなく、多くの教員が限界ギリギリで耐えている
  • 本当はやりたくない顧問が増えていること自体が、教員の善意に依存した部活動システムの崩壊を示している

「部活の顧問が見てるだけ」「来ない」「何もしない」。そう感じられる場面の裏側には、顧問個人の性格ややる気の問題だけでは説明がつかない、長年積み重なった日本の学校制度の大きな歪みがあります。

多くの顧問は、やる気がないわけでも、生徒を軽視しているわけでもありません。

未経験のまま重すぎる責任を背負わされ、失敗が許されない監視社会の中で、自分と生徒を守るために、最も無難で安全な「見てるだけ」という関わり方を選ばざるを得ないのです。

顧問を一方的に責めるのではなく、「なぜ先生たちはそうならざるを得ないのか」という背景を知ることが、これからの部活動の在り方を考え、生徒も先生も苦しまない環境を作るための第一歩になるはずです。